もし人間が完全であったら、人間は神なのだが……。byヴォルテール


さあたまにはまじめなことでも書くかな。



昨日木尾士目の初作品の陽炎日記(↓)を読んだ

陽炎日記 (アフタヌーンKC)

陽炎日記 (アフタヌーンKC)


そこで思ったのが今日の言いたいこと。




  • 同人での漫画表現


どうして俺がハースニールを好きというのか、ということも絡めていいたいと思います。


まずは、陽炎日記を読んで・・・


面白い漫画ってどんな漫画だと思います?俺もいろんな漫画持ってるけど、昔は面白いって思う漫画でも今ではあんましなぁってのが増えてきた。それでその漫画がどんな漫画家考えたんだけど、そういう漫画って”消費的な”意味が強いんだよね。


いい例がたいていのスポーツマンガ、ひとつの試合で、ピンチを出してここぞというところで新しい技を出して勝つ、とか、何にもなく圧勝、というパターンがほとんど。そして技のレベルが上がって、前述の繰り返し。(テニ○リとかキャ○ツバとか良い例)


つまりは、弁証法的に一般化すると・・・


テーゼ(現在の状態)
   ↓
アンチテーゼ(チームが勝てない危機的な状況)
   ↓
ジンテーゼ(新しい技や軌跡のような出来事)
   ↓
 勝  利 (負けが許される状況{敗者復活戦があるとか}のみこのままぎりぎり追いつけずに負ける)


こんなかんじになる。自分の持ってるスポーツ漫画をもう一回見てみよう。たいていはこれで説明がつくはずだ。おそらく、勝ち負けが決まる漫画はほとんどこの法則が使われているだろう。なぜならそうしないと、場面場面を盛り上げることが不可能だから。この他にも盛り上げ方はいろいろあるのかもしれないが、それはまれなものだろう(そういうマンガあったら紹介してくださいな)


俺としては、こういうマンガは、はっきりいって見飽きた。消費的な面白みは感じても、そのマンガそのものに対する面白みはほとんど皆無。買おうというところまでは絶対行かない。それなら、実際に試合を見に行ったほうが確実に記憶に残るし、予想が絶対できないから、マンガなんかじゃ感じられないワクワクドキドキ感がそこにはある。


では、俺の考える面白いマンガとは?ということになるが、俺が思うに本当に面白いマンガって文学作品と同じように人の心を極端に揺さぶったり、頭を働かせたりするマンガなんだよ。こういうマンガって結果的には何回も読み返すようになるマンガにもなるんだけど、作者の意図がはっきり伝わってくるからいい。


ここで陽炎日記。(オセェヨ( ゚д゚)、ペッカス見たいなツッコミはなしで)


木尾士目については、げんしけんのイメージしかなかったから「描写がうまいなぁ」とか「絵の感じがオタクをよく表してるよなぁ」ぐらいにしか思ってなかったけど、陽炎読んで変わったわ。


陽炎日記を一言で言うなら性を含めた大学生の恋愛の現実とそれにおける逡巡(葛藤)


もうこれが青春で泥臭いこと。もうぎとぎとです。これでもかってくらい心に攻撃してきます。げんしけんからは想像できない内容だったのでちょっと衝撃でかかった。あらすじ書いてもいいが、俺あんま文才無いから割愛。兎に角だ、下手なマンガ読むよりこっち読んだほうが絶対お得・・・と俺は確信してみんなにお勧めする。


前ふりがとても長かったが、ここから本題・・・



なぜ陽炎日記を読んでこれを書こうと思ったか。それは、同人誌って心入ってないよなぁって思うんだ。同人誌描く人って何を思って原稿描いてるのかなって感じたわけよ。性表現をただ描きたいのか?何か伝えたい思いがあって描くのか?ゲームやマンガのキャラが大好きだから描くのか?...etc


いわゆるエロ同人誌には、何にも感じないんだよね。ただ、エロがある。そんだけ・・・もちろん参加してるやつらみんなが伝えたいことがあるとも思えないし、漫画家になりたいわけでもないだろう。大手にとっちゃただの息抜きやサービス的な意味が強いのかもしれない。ページが少ないのかもしれない。要因がいろいろあるのは俺にでもわかる。でも、



読者をなめるな


うちらもそれなりにマンガ読んで、同人誌買いに来てるんだ。絵だけで売れると思ったら大間違いだぞ(実際には絵だけで売れるから困る)、声を大にしていってやりたいよ。同人誌の相場は500円かもしれないが、普通に考えたら単行本1冊以上の金をその同人誌につぎ込むんだ。気持ちだけでも企業の単行本以上のものを描くのは、同人作家として当然だと思うし、企業に勝てるもんなんてそれしかないだろう。それを出さずして買ってもらおうと思うな。


最近の俺が買うのには、同人作家の唯一の武器すら感じられない。誰か教えてくれって感じだよ。


性表現もそうだろう。それ自体が書きたいならそれでいいさ。自分の妄想をさらせばいい。けれど、性は、手段のひとつであってそれ自体が目的ではない。表現の一つである性を表現したいならその前提にある目的としての恋を描いてほしい(少ないページで本当にきついと思うが)。そうしないと性表現に何の意味も無い消費的なものになってしまう。


本当に勝手なのだが俺はここまで無いと満足しない。


もし前提を描かないなら、少しでもオリジナリティーや娯楽性があるほうが楽しめる。だから俺は、他人よりもハースニールが他人より好きなのである。性表現としてあのクオリティーが低い(オリジナリティーが無い)という人はほとんどいないであろう。言ってみれば異端みたいなもんだ。だからこそ好きなのだ。絵に違いこそあれ他のやつらのやつ何にも違いなんかありゃしない。マニュアルでも存在してるみたいに・・・


いうならば、「外見脱がさなくていいから、中身を脱がしてくれ」って感じ?


陽炎には俺をこんなに長い駄文を書かせるくらいに心が詰まってて、内面を精一杯に描いてて、性表現も恋の中身を描くための一手段にしかすぎなくて、俺が求めてたもののどんぴしゃだったんだよね。(これで解釈間違ってたら格好悪いなぁ・・・)


最後に一言・・・ここまで読んでくれてありがとう、それと同時に反感を持った人は「お前はできるのかよ?( ゚Д゚)ゴルァ!!」って思うはず。


答えはもちろんできない。


俺は、性表現を描くことはおろか日常ですら、まったく描けないし、仮にかけたとしても自分で前述した表現以上のものはできないだろう。それだけ性表現はパターンも少なくありきたりになりやすい難しいものであるのだ。俺は、同人作家も芸術家の一人だと思っている。だからこそ、自分の自分にしかないオリジナリティーを遺憾なく発揮してほしい




それではお粗末さまですがこの辺で・・・