私はオタクでありオタクでない。

先に言っておきます。おそらくこのエントリも自分語りに収束すると思う。それでは話しましょう。



私は中学生の頃にオタクであると自覚しました。そのときの俺のマニアぶりはそれはもう完全にオタクらしいオタクでした。一例を挙げるとするならば、かつて自分が中学の頃シスプリって言うゲームが流行ってたんですけど俺はこのゲームの12人の妹を確かOPに出てくる順番に誕生日まで言えてたんですよ。とてつもなく痛い子ですね(それは今もあまり変わりませんが・・・)。そのときが俺がオタクらしいオタクとしてのピークだったかなと感じてます。なぜその情熱が消えたか。それは高校に進学したのがきっかけかもしれません。



中学の頃俺がオタクであることで・・・なこともたしかにありました。それでもオタクを続けていく気は満々でした。もともとマンガは大好きだったしあの時やったKANONAIRの感動は今でも忘れない。それだけこの趣味が好きだったんですよ実際。そんなに好きなのになぜ俺は情熱を失ったのか?それは高校の周りの人々が凄い人たちだらけだったんです。(うわっ他人のせいかよ)俺はあの時頭が確変していて県下でも有数の公立高校へ進学しました。そうすると周りの人の知識量も凄ければ人間としても凄い人が多いんです。俺にとっては何も知らないクソガキが国会議事堂の真ん中に置いてけぼりにされた気分になりました。そしてそこはどうにか適用しようとする俺ですからオタク趣味をしながら他のことにも色々関心を寄せてどうにか彼らについていこうとしました。



しかし、そうはうまく行かないもの。周りから見ればそうでもなかったのかもしれないが、俺は焦っていた。どんどん開いていくようにしか思えない格差の広がり。そして彼らとは対等に入られないというあまりに早計過ぎる結論を出した。そうするとどうしなければいけないのかを考えてひとつの結論を出した。俺が彼らより下っていうことを自覚できればそれでいい。そのときにオタクという世間的にはマイナスなレッテルは俺にとってはとても都合のいいものだったのです。



周りから見れば何も変わってない。俺の意識化の中だけ俺は皆より下。こういうとても歪んだ事をすることで俺は精神的に安定できたわけですよ(文字にするととてもひどいな書くのが嫌になってきた)。そうするとレッテル元であるオタク趣味についてなんですが、自分が自分の中の体裁を守るためにこれを消費しているのかもしれないという意識が生まれてきたんです(もちろん歪んだ形でオタクの価値を利用したんだから当然ですけどね)。それが耐えられなかった。中学のときのオタク仲間を裏切るようで。俺が苦しかったとき支えてくれた彼らを裏切るようなこの行為が自分の中でどうしても許せなかった。



そうなると俺はもう動けない。高校生活での一歩下な意識を保ちつつ、真摯な気持ちでオタクコンテンツを消費できなくなる(それでもマンガとかは大好きでしたよ。この純粋な気持ちだけで周りを考えないで消費すればよかったんですよねおそらく)。そうするともうオタクなんて呼べないわけですよね、自分の中では。自分の中での行動がどんどん黒く不誠実になっていくのがまざまざとわかるんですよね(皮肉なことにこうやって行動を制限してるのはとても純粋な気持ちのようにも感じられる)。だから俺は色々楽なほうに逃げた。簡単な事だ。単純に思考停止をしてそのときそのときの事象を順々にこなしていけば時は過ぎていく。そうすればこの変な気持ちもいつかどこか心の奥底にたまってどうにかなると思ってた。




今考えるととても不思議だな。そんなにも他人が重要だったんだね俺。そこまで自分を捻じ曲げて苦しい思いをしても他人と繋がっていたかったんだね。本当に愚か。それでもってかわいそうだよお前。




結論を書いてなかった。今までの流れを見てくれればわかると思うけど俺は自らのせいでオタクの良い部分を消してオタクの悪い部分だけを享受するという最低なことをしていたのである。他人に強制されるのではなく、他人と繋がっていたくて、精神の安定が欲しくて(結局傷を広げただけだけど・・・)、自ら選んだ道。




昔からここを見てた人にとってはこんなこといわれても困ると思う。俺が言われたら確実に困るから。それに中途半端に人のせいにしてるけど結局すべて俺の妄想が原因なんだから俺たちにどうしろとって話だよね。そう思おうならただこのエントリを読んでくれればそれだけで良い。ここは俺が言いたいことをいう場所。俺以外の人で見たくない他人は見なければいいんだから。