ブログをやり続けることの矛盾


最近俺と真剣な話をした人なら一度は俺にこういわれたことが記憶にあるかも知れない。「俺の話し面白いですか?こういう話してて楽しいですか?」と。ちなみに言うと俺はとても楽しい。人と真剣に話すだけでもその人の考え方の片鱗が見えて私の考え方に影響を与えてくれる。俺はそうやっていろんな人の意見を聞き入れて見解を深められればと思ってる。


その分相手にもメリットはあると思ってる。俺と同じような考えで俺と話をするような人もいるだろうから俺と真剣な話をすること事体には俺は何も負い目を感じない。嫌なら来なければ良いだけなのであるのだから。俺が負い目を感じるのは俺の話す内容。俺は俺自身の経験からでしかものが言えない、さらに俺はそれほど人に言えるような経験をあまりしていないようにしか思えないのである。だから俺は結構必死に話している。どうすれば人が聞きやすいか。どうすれば内容として面白い話になるのか(こういう小細工のようなことを考えるくらいなら話せるような経験を増やすほうがよほどこの問題の解決には近い)。



ブログもこれと同じこと。ブログは他人に見られるもの。俺はブログで自分の言いたいことを言いっぱなしなのだが自分で書いておきながらこの文章が他人から見て価値のあるものなのか。未だにそれを感じることは出来ない。もうこの時点で俺は自分の本当に言いたいことを他人に言うことが出来ないのかもしれないと思うようになってきた。自分の考えたことをそのまま伝えられたらどんなにいいことだろうか。他人の存在があるときに何故俺はこんなにも変わってしまうのか。



このことに気づかないでずっとブログを続けていければよかった。でもこんな(自分の足枷にしかならない)どうでもいいことに気づいてしまった。さてはてこれからどうやって更新していこうか。私の声には変わりない。しかしそれはある程度は人に「聞かせる」ために自分で加工してしまった言葉なのだ。おれはもうチラ裏にガリガリ人の目に晒されないように自分の考えを書いていくしかないのか?それも悪くないけど俺がブログを続けたということはこの拙い意見を知ってほしいという欲望があるからに他ならない。ならば俺はブログを続けるべき。



頭の中でぐるぐる思考が回ってる。結局どうすればいいでしょうかね(こうやって結論を早く出そうとすることはあまりいいことではないのでやめましょう)。これはまだある程度考えなければいけないことなのでしょう。そして俺にははっきり白黒つけられる問題じゃないのかもしれない。それでも考えていくしかないかな。



ちなみに俺がブログが好きなわけは俺の「思考」という部分とブログを書くという「行動」が一気に両方出来るから。俺としてはそれに「他人の反応」があれば最高だと思ってる。だから他人と話したがるわけだしね。そこまで求めるには私は魅力はないので期待しないけれどもね