昨日の飲みの自分的総括


昨日はオフ会で知り合った天馬さんと飲んできました。

  • 恋愛に法則を見つけようとする人


恋愛に法則ってあるのかな?俺は完全にケースバイケースだと思うよ。この状況だったらこれって言うひとつの答えなんてやはりないんだよね。そういうのがあったら世の中は男女関係についてはもっと幸せになってるはず。じゃあうちらは何が出来るのかな?恋愛で失敗しないために。その確率を少しでも上げるために。


俺としては計算高く恋愛するのには首を横に振るけどね、ただ気持ちだけでどうにかならないのなんて世の中の自明であるわけで・・・。



ここまでかいたけど俺の考えもまとまってないので少し脱線。世に言う恋愛本というのをそのままやるのも正直一理あるところはあると思う。結果だけがほしいならね。ネットでよく恋愛論が語られる。その多くには結果=付き合うまであの手この手で導いてくれるものも多い。しかし、俺がいつも思うのは付き合うまでで傷つく(失敗する)のと、付き合ってから傷つく(失敗する)のではダメージが違うような気がするんだけどな。この部分については俺自身が非モテの議論をあまり見てないだけかもしれない。付き合うというひとつの結果だけを見て本当に大切なその先を見るのを忘れたら非モテの人たちは一瞬の成功のために、その先の大きな絶望(自分のためにだけに恋愛をした代償)を見せないようにしてる気がするのは俺だけか?



そもそもそこまで面倒見切れないってのもあるでしょうけどね。それに恋愛してる自分に酔ってるって人もいるからねぇ。これは次元の違う話なのかな?俺はもしかして贅沢なことを言ってるのかな?誰かさんに言わせればそういうことを考えられる時点で俺はOKなのかな?今の世の中の恋愛事情見てたらこの問題ってのは明らかに考えなくてもいいことのひとつに思えるのも事実。でもそれを無視した恋愛ってのはどうなの・・・



ここまで書いてまたひとつ思った。理想主義者だねぇ俺。それと同時に言いたいことが次から次へと溢れてきて最初の話題について言及するのを忘れそうになるよ。もう少し小論文の勉強し直した方が良いかな。これyザ穴に伝えたいのかほとんどわからなくなっちゃう。



ということで話題を戻そう。



恋愛で法則を見つけたがるのって正直な話、自分で考えたくないんだよね。その法則さえ見つければ何も考えなくていいんだもん。それなら楽だよね。でも、それでいいのかな?法則のせいにすれば自分は逃げられるからいいかもしれないし、それって恋愛なの?恋愛資本主義を否定して本当の恋愛を求めたからこそ非モテになった人もいるでしょう。それならば法則なんて考えるのやめようや。それより目の前の事象を一生懸命対処しろや。仮に法則なんて見つけられたとしても、考えるのをやめることなんて出来ないじゃん。状況は日々変化していくんだし。思考をやめた瞬間に全ては崩壊すると思うよ。



これがひとつの結論。



今度からはノートあたりに考えの羅列を書いてそれを論理的な文章にするところまで文章レベルを上げなきゃ。今のこのレベルじゃはっきり言って厨房並だしね。



それでは駄文ついでにもうひとつだけ書こう。


  • ファッションを変えれば自分が変わる?自分が変わるからファッションが変わる(広がる)?(書き途中断念)

丸井・パルコのバーゲンで服を買って早一ヶ月。今の俺の格好は似合ってるのかな?かな?どうしてもこの部分は不安だ。最近思ったんだけどファッションて言うのも自分の内面に凄くかかわってるよね。(当然じゃんとか言わないでね)例えば中田英。彼なんかは日本に帰ってくるたび奇抜なファッションですこ〜しだけどマスコミを沸かせていた。あのファッションはどう思う?これを読んでる人に聞くけどあのファッションできる?いや、自分の納得できる格好ならあれぐらい奇抜なファッション出来る?俺はできない。このときに他者の目を気にするから。ごく少数かもしれないけどこのファッションをしたことで不快になる人がいるかいないかを考えてしまう。



そうなるとおのずと出来るファッションなんかも限られてきちゃうよね。それも自然と無難な(当たり障りの無い)方向に。他社への目が人によって違うんだよね。だから、ファッションて各々で評価が違いすぎるんだろうね。俺なんかでいうと、最近天満さんとかに助言を受けたこともあって少しだけ幅を広げられた気がする。そうすると・・・




ごめんよ〜何かの糸がぷつんと切れたみたい。そのうちかくようにします。誰も見てないのだけれどね