死ぬ前にリリイ・シュシュのすべてを見てくれ


昨日は思いのほか早く寝てしまって(といっても22時くらい)今日は深夜の一時に起きた。
テレビをいつものように無意識につけて少し眺めていたが、そんな気分でもなかったのでPCの中にあるドラマ天体観測を見ようとしててファイルを探していたらその過程で、「リリイ・シュシュのすべて」という映画。なんとなくで見た映画だったけど久々見たくない部分を直視させられたなぁというのが感想。


中学におけるいじめ、自殺、援交etc中学生活での黒歴史といえる部分がいやおうなく出てきた。映画を見てたそのときの心情もあったのだろうがとてもわくわくしながらその様子を見ていた。これが映画だからそれは許されるが、現実ならばそれはいじめに参加しているも同然の傍観者。このときに再度思い知った。自分がどれだけいじめについて語ったとしても現実には何も出来ないこと。もしやられる立場に立たされたとき何も出来ないであろうこと。そして少なくとも傍観者としてならいじめという惨劇をわくわくしながら見れるということ。


果たしてこれが俺だけにある感情なのか人間として当然として持っている感情なのかは分からないけど、大抵の人にもこういう感情はあると思う。そうじゃなきゃこの映画もここまで有名にならなかっただろうしね(この作品をエンターテイメントとしてみてる人は少ないと思うけども・・・)。いじめるほうもいじめられるほうも全員加害者で被害者、そんな気がしてきた。そしていじめによるルサンチマンが他のところで発散できなくなる状態に陥ってしまうのが本当のいじめられっこであり、そのような空気が完全に出来上がってしまっているのが日本の終わりなところだと思う。


強者は弱者を使って色んなものを発散する。その弱者は更に弱者を使って発散する。最後には誰か(そしてそれは大概にして無抵抗なひと)に発散したものがたまるのだ。その人に俺はなんて言えばいい。救おうなんて思わないとしても、なんていう言葉がかけられるのだろう。おそらく何にも言えないから俺はこんな奴なんだろう。余裕を持って言葉をかけないでうどん一杯すするっていうのも粋な気はするがそんな余裕ありません。


この映画は子供に見せたくはないが絶対に見て欲しい映画のひとつである。特に死を考えたりする人には。日本は「死」というものをなるべく遠ざけようと考えてきてる。だからこそ一度はそれに限りなく近い場所を体験して欲しい。その疑似体験の方法のひとつとしてもこの映画はお勧めします。死ぬくらいならすべてを捨てて何かに依存するのも悪くはないと思う今日この頃。



すべての俺のような被害者面しているやつらに送る駄文。