ほろ酔いと好きとか嫌いとか合うとか合わないとか

今日は友人に誘われての飲み会。なので、ここの更新のことをついさっきまで忘れてました。忘れたところで誰にも咎められないけどせっかく三日坊主の一線を超えたんだし、一週間くらいはやりたいな。(フラグじゃないよ!)ということで今日の飲み会で話したことについて自分用まとめみたいな感じでつらつら書いていきます。


昨日の夜映画を見たんです。その映画があまりに難解というか複雑というか説明不足のせいで私には全然理解が出来なかったんです。少なくともこれを理解するには原作をちゃんと読まなきゃ絶対に理解出来ない。だからこの映画の評価も難しいと思い、この映画を理解出来ない!その部分をツイッターに書きました。そこでの友人のお返事は「〇〇(原作ではない)の知識が足りないから仕方ないんじゃない〜?」。更には、「そこまで深く考えてもこの作品は皮肉なだけでそこまで意味はないと思うよ」との御高説。


怒るまではいかないけど、この映画が彼の言うように単純に思えなかった私。どうして?どうして?と質問攻めにしたかったけど、ツイッターの140字じゃ話がまとまるわけないし、私も攻撃的になると思えたのでそこはやんわりとスルーすることにした。このことにも納得はいかないけど、このことを発端にその私の友人は結構表面的に映画を見ているのかもな、と再認識。それ自体は悪くはないし、見たまんまメタ視点に入る前の感想をズバズバ言ってくれるのも有意義ではある。


だけど、だけどおおおおおおおおおおおおおおお


やはり、自分が映画なり何なりについて一歩踏み込んで考えたいと思うときに「考えても無駄よー」とか的はずれなその映画を分からない私でも分かるような指摘にはちょっと辟易としてしまう。こいつとはこういう話はあんまりしない方がいいんだ。そんな結論を自分で導いてしまう。自己弁護になるが勘違いしないでほしいのは私は彼のことが嫌いでないし、彼と映画を一緒に観に行くこともよくある。別に普通に話していれば嫌う部分なんて何も無いという事。そこは好き嫌いではなく、合う合わないでちゃんと分けて話をしたい。この話をするのにこの人は合う。この人は合わない。そういう区別を使い分けないとこっちが疲れてしまうし、自分が不毛になるだろうと分かってる議論をわざわざ相手に振ってしまう。それは、暇つぶしならいいけど誰の得にもなっていない。


ここから自戒。このように相手を見るってことは暗に相手を下に見てるって事は忘れてはいけない。平等であるようには振舞うけど、「映画」に関しては私の方が上だ、と見てしまう自分がいる。もちろんそれには理由があって、それはその作品の面白さやその理由をうまく説明出来るかの度合いだろう。ここが面白かった、それはねここがこうであそこがああだからラストのシーンでインパクトある心に響く映画になるんだ!みたいな説明を私は求めてしまうし、私はそれが出来るように日々努めている(つもり。批評書くときにこんなもんかとか笑わないで下さいね?ね?)そこの言語化出来る人を凄いと思うし、映画全体に対する愛情のように感じる。


だから、良質な批評って大好きです。自分には思いつきもしない言葉で作品を説明してくれるとそれだけで惚れそうになります。私にはまだそれが出来ない。言葉も未熟なら、知識も未熟。それでも、私の言えることを素直に言えるように脳内垂れ流しブログを今日も書いております。酔いも醒めてきたので今日はここまでにしましょう。明日もお付き合いくださいませ。


最後に私の見た映画は「WATCHMEN」です。アラン・ムーアに謝れ!
BGM「愛しさと切なさと心強さと」by篠原涼子