ツイッターこわい

落語には「まんじゅうこわい」なんてお噺があるけど、ここで私がツイッターこわいと言い続けた所で、ツイッターを投げつけられることもなければ、それでお腹を膨らせることも出来ないのは当然のこと。最後にはじゃあ「facebook」で!なんて洒落たこともない(だろう)。なんてことはないんです。本当にツイッターが怖いのだ。


ツイッターこわいというのだからもちろんそれなりに理由はある。感覚的に言うならツイッターは時間を吸い取られている気がしてならない。自分が知りたい−今知りたいわけじゃないけど、後日読んでみたいなとかこれいつか見といたら役立つかもという−情報が満載で、好奇心のアンテナを波平バリに敏感にしていると何時まで経っても時間が足りないし、自分が本来やりたかったなとか思うことの時間がどんどん無くなっていく。それでいて、何かぼんやりとした情報(っぽいもの)はゲットした気になるから軽い満足感も味わえる。


危険だ。とてつもなく危険だ。その実何も得ていないのに幸福な感覚だけは自分に残る。とここまで書いた時点でこのツイッターこわいが何に似てるのか分かった(気がする)。それはテレビ。テレビのあの見ていて楽しいけど最後まで見たら結局なんだったのかよく分からず、時間だけが過ぎ去っていく感覚。あれに凄い似ている。今は殆どアニメ、サッカー、映画を除いてテレビを見ていない。(今回は本当!)サッカーですら時間の無駄のような気さえしてきた。それほど、私はテレビを意識して避けている。


ツイッターに話を戻すと、そこには途中から始まったテレビ番組が一気に文字列として襲ってくる気さえする。ツイッターの場合は私が「フォローする」のボタンを押したくらいなので、何かしら私のアンテナに引っかかる人たちの言葉が文脈をぶった切って私の目の中に入ってくる。開いた瞬間は痛くない。むしろ、キラキラしている。今日はあの人がどんなことを言ってるんだろうとついつい隙間時間に見てしまう。それが気づけば積もり積もって30分とかになることもざらである。(30分あればこんな駄文を書けるのは今リアルタイムで私が証明している。)


おーこわいこわい


ただツイッターこわいと言ってもそれは酷い言い様にも思うので、何故私がツイッターをテレビのように消費してるのかを考えてみた。一つは、私が発言するよりも人の意見を見る方にツイッターの役割を置いてるから。そうすると、この人の発言を全部見なきゃゲヘヘという無謀パワーを発揮し始めて、他の事よりもTLを追う事が優先順位を全員抜きして1位に躍り出る。そんなの無理だと内心分かりつつやっているから手に負えない。それならば、ツイッターで発言すればまだ有用に使えるようにも思えるがそれは私に関して言えば正解じゃない。なぜなら、発言したら反応を求めてしまうから。その反応欲しさに、頭の中の知恵を使うにも関わらず反応は来ない・・・なんて未来を想像して私は140文字を打つのを辞める。そして、iphoneで更新し続けるかF5を熱心に押し続けて、TL流れろ〜と誰にいうでもなく怨念を送り続ける。全くもって無駄行為だ。


上に書いたことを、あるあると思ってしまう私とお友達になれるような人は是非ともついったーをやめてみよう。(ついでにテレビもやめてみよう。)時間が意外にあることに気付くし、自分がどれだけダメか考える時間も増える。一応言っておきますが、ツイッター批判みたいに捉えるのは止めていただけると幸いです。(ついでにテレビも!)なぜなら、これはツイッターが悪いんじゃなくてその誘惑に勝てない私が悪いだけなんですから。


ツイッターを見なくなって私はちょいちょい本を読み、文章を書くようになりました。良い事か悪い事かも分からないけど、今はこっちの方がいいと感じます。明日もこんな感じでお付き合いよろしくお願いいたします。